熊本時代
自己紹介もくじ
社員になる前に、アルバイトの時から中心人物になりました。
現場の作業能力だけはズバ抜けていたんですよ。
マジで。
と言っても、
・他の人が3時間かかる洗い物を、オレなら2時間でしかもキレイな仕上がりでやれる。
とか、
・オレがいれば、どんなピーク時でも料理提供がスムーズに出る。
とか、そんな次元の話です。
社員になっても、平なのに上の人たちがオレに気を使うような。
いま思えば嫌なヤツですね。
それからしばらくして予想外のことが…。
大分や宮崎に出店が続いていたのですが、13号店目に熊本に進出することになりついに私に転勤命令が下ります。
大分から出たくなかったので社員になったのに、熊本に副店長として赴任しました。
「副長」と呼ばれます。
たぶんこのときくらいに、元飲食店経営編集長の千葉さんが月刊食堂の編集長だった時で、一緒にアメリカ研修に行きました。
店長とか私以外の社員は熊本で採用した人たちだったのですが、これがまたいろいろと問題があって、ついにここで私が店長になります。
23歳。
最年少店長でした。
当時1店舗に社員が5~6人いて、店長の私は23歳独身。
部下はみんな30代以上の妻帯者。
そこからずっと店長以上になっても、長の私が年下という世界が続きます。
熊本の店長時代の私の1番の自慢は、「人に困ったことがない」ことです。
スタッフにはメッチャ厳しかったですよ。
営業中はみんな私に近寄らないくらい。
でも、休憩時間とか仕事の前後とか時給が発生していない時間は、一切仕事のことは言わずにバカばっかり言ってました。
時給が発生している時間と発生していない時間は、明確にメリハリをつけていました。
ジキルとハイドのようなメリハリです。
なのでスタッフも「時給が発生している時間は、ちゃんとやらないと」と、メリハリを出してました。
「人使い」には自信がありました。
熊本に進出してから熊本への出店が続くのですが、どのお店も人に困っていて私のお店からヘルプを大量に出していました。
売上の高い週末に複数のお店にヘルプを出してたのですから、自分でもスゴイと思います。
で、当然ながらそういう人に困っているお店はいろいろと問題がある訳で、ヘルプに行ってもらったスタッフから「店長、もうあのお店には行きたくありません!あのお店は・・・・・」と続くわけです。
私は「まぁまぁ、飯をおごるから」となだめながら、「ん?オレは何をやってんだ?何でオレがなだめないといけないんだ?」と思いながら…。
なので、あの当時の飲食業なのに、店長時代の私はいわゆるブラックとは無縁で「楽勝」でした。
1ヶ月のシフト表もまずは自分の休みを先に確保して、それからシフト表を作成しましたから。
しかも楽に。
周りの店長達からも、「河野は楽しすぎてる!許せん!」みたいな感じでした。
「だったら、もっと人使いをちゃんとしろよ。ヘルプ出すのを止めようか?」と思いましたけど。
もちろん売上も優秀で、会社の行事で「最優秀社員賞」みたいなものは、1番多くもらいました。
当時の上司から、「申し訳ないけど、今年は河野を外して選考するから」と言われましたから。
やっぱり、嫌なヤツですな。
ところが、そこから嵐のような人生に……