オープン隊隊長

皿洗いのアルバイトで入った時には2店舗しかない普通のレストランだったのですが、そこから一気に500店舗になるまでを体験することになります。

 

怒涛の時代です。

 

 

ピークの時は月間の労働時間が400~500時間、休日も半年に1日程度、年間363日働いていました。

 

「過労死」という言葉がニュースで取り上げられるようになった頃で、「これが過労死の基準なんだ。オレは何回過労死になってんだ?」なんて思っていました。

 

ただ、他の世界を知らないので、キツイとかイヤだとか思ったことはないんですよ。

 

その体験があるから今の私があるのも事実です(だからといって、それを肯定はしませんよ)

 

でも、今から思えば異常でしたし、もう1度あの体験をしろと言われてもまっぴらごめんですけどね。

 

 

年間の出店数が2ケタという状況が続き、新店立上げを専門にする「オープン隊」というチームが編成されました。

 

その隊長に私が任命されることに。

 

「オープン隊隊長」という役職です。

 

みんなから「隊長!」と呼ばれていました。

 

いつでもどこでも泊まれるように車のトランクに布団を入れて、オープンからオープンへの移動です。

 

1ヶ月~3ヶ月の短い期間でアパートを借ります。

 

オープンの前から赴任してスタッフの面接と採用、銀行の口座開設、いろいろな取引業者の選定、スタッフのトレーニング、そしてオープンへとこぎつけます。

 

オープンから2週間~1ヶ月程度してオペレーションが落ち着いたら、次のオープン地に向かいます。

 

エンドレスでその繰り返し。

 

24時間営業ですから、「丸2日間、店から一歩も外に出なかった」なんてこともありました。

 

九州は沖縄以外は全てに住みました。

 

 

会社のマニュアルは全部、私が作りました。

 

調理マニュアルや接客マニュアルはもちろん、ハウスルール、クレンリネスマニュアル、レジ締めマニュアル、クレームマニュアル、トラブルシューティング・・・・・

 

 

交通事故で死にかけたのもこの頃です。

 

次のオープンに向かう高速道路でのこと。

 

もの凄い土砂降りの雨で、スピードは出していませんが遅い車を追い越していく流れについて、追い越し車線を走りました。

 

前を走っていたのが大きなトレーラーでさらに水しぶきが凄いので、早く走行車線に戻ろうと思い走行車線に戻ったら、目の前に車が止まってたんです。

 

エンストで路肩ではなく走行車線に。

 

ブレーキを踏んでも間に合わず、しかも大雨でしたからそのままドーンと…。

 

頭でフロントガラスを2回割って、そのまま意識不明です。

 

後ろを走っていた車が救急車を呼んでくれたらしく、さらに次に止まってくれた車が医者という偶然で、薄れゆく意識の中でそのお医者さんが「おい、救急車はまだか!脈が止まりかけてるぞ!」と言われていたのを何となく覚えています。

 

後日、救急隊員の方から写真を見せられて、現場に到着して見た瞬間に「あっ、これはもうだめだと思った」と言われました。

 

車も大破です。

 

数日間寝たきりで、久し振りに自力でトイレにいって鏡を見てビックリ。

 

まるでフランケンシュタイン…。

 

それから数年間にわたって、時々、額からガラスの破片が出てきました。

 

今でも傷跡があります。